2006-03-27

元気です。

ちっとも更新できてませんでしたが、元気です。

ちょっと言い訳をすると、PCの調子が悪く、写真をいじれない状態になってしまったため、ブログにも手が伸びませんでした。

そして、実はその間に、先日行きそびれていた東欧へ行って来ました。

東欧といっても、今回はチェコ・スロバキア・オーストリアという、中欧辺りを回りました。
あまり時間も取れなかったので各国の首都を回るという、慌しいスケジュールで行って来ました。

まずは、パリから夜行バスでプラハへ。
ここはチェコの首都ですが、『プラハの春』で有名ですね。
毎年春にプラハでは音楽祭が開かれます。
ドボルザークやスメタナといった有名な作曲家を輩出した文化レベルの非常に高い街です。

昨年末から、「プラハの春(上)(下):春江一也 集英社文庫」を読み続けていたので、凄く行きたかった街のひとつです。
旧共産党支配が終わり、自由に旅行できるようになったわけですが、東欧の空気は未だ色濃く残っていました。

が、やはりプラハは音楽の都であることを街のあちこちで感じさせてくれます。ちょっとした広場では常に、ジャズやクラッシックを聴くことができるし、ミニコンサートは比較的手ごろな値段で毎日あちこちで開かれています。
今年はモーツァルト生誕250周年?ということで、モーツァルト関係のコンサートのビラが多かったです。

さらに、プラハは東欧の街としては珍しく戦災を免れてきた街です。これには、チェコ人歴史が大きくかかわっているわけですが、そのきれいな街並みは、夜になるとさらに美しさをましていました。
数多くある塔や、ブルダヴァ(モルダウ)川にかかる多くの橋。それらがライトアップされる夜の街はすばらしく、感動しました。


さて、プラハから電車で4時間半かけ、一路ウィーンへ。
ウィーンもすばらしかったです。
ただ、やはり、西側の国として近代以降発展してきただけあって、チェコの街並みとは異質のものです。
ここには、おおくのすばらしい近・現代建築がありました。
とくに、オットーワーグナーの設計したものはどれもすばらしく、いい建築が作る街を堪能できました。

ちなみに、ニューイヤーコンサートで有名なウィーン楽友協会ホールへ行って来ました。チケットは、立見席で、5ユーロ。ちょっとお得な感じがしましたが、人がいっぱいで、なかなか…やはり聞くなら少しお金を払って、ちゃんと席に座らないとダメですね。
もう少し大人になってから行きましょう。

そのご、チェコと連邦制を解消したスロバキアの首都・ブラチスラバへ。
ウィーンのあとに行ったせいでしょうか、あまりの違いに呆然です。
やはり、ヨーロッパ内での経済格差は確実に存在します。
それでも、街のあちこちで工事が行われており、これから10年後へ向けた街づくりをしているのかなと感じました。

ブラチスラバには一日しかいませんでしたが、最後はドナウ川のほとりを歩いて終了です。


東欧の首都三つを回ることで、すばらしい建築も多く見られたし、さらに、国境をまたぐだけでがらりと変わる経済状況に驚かされた、プラハ⇒ウィーン⇒ブラチスラバの旅でした。


さて、あと2,3日で帰国です。準備をしないと帰れなくなりそう…。

2006-03-10

南仏旅行-Cote d'Azur①

先月2月21日より行っていました旅行から数日前に帰ってきました。
予定が入ったため途中バーゼルから急遽予定を変更して、パリに戻りました。
バーゼルの後に行く予定だった、東欧はまた来週辺りに行きたいと思ってます。


さて、今回行った南仏~スイスにかけての旅行記はなかなか長くなりそうなので何回かに分けて書きたいと思います。

まずは南仏コートダジュール。

2月21日早朝、パリは雪でした。そして、始発電車に飛び乗り、パリ・オルリー空港へと向ったわけですが、前日から心配していたいやな予感が見事的中してしまいました。
というのも、格安航空券を買ったんですが、それが余りにも朝早いため搭乗手続きに間に合わないのではないかと。…。

まぁ、いいんです。終わったことですから。

でも、始発の公共交通機関を使って間に合わないような時間帯には設定して欲しくないですね。
結局、便を振り替えてもらい、別途お金を払いまして、次の便に乗せてもらいました。
いい勉強になりました。

さて、当初の予定よりも5時間遅れでニースに到着。
照りつける太陽、青い空、半袖で行きかう人々。。。とは、行きませんでしたが、パリよりは若干温かい。
そして、なんと言っても海がきれいでした。
昨年の夏に沖縄に行ったときも感動しましたが、ニースの海もきれいでした。バカンスに行きたくなる気持ちも分かります。
重い荷物を背負いながら、ニース旧市街展望台へ。そこからはニースの街が一望できます。なかなかきれいな街です。

そして、今の時期ニースでは毎年恒例のフェスティバルが開催されているようです。
留学の申し込みのときに、ヨーロッパの祭りを見たいと書いていたのが、図らずも実現できました。
まぁ、ただカーニバルは個人的には余り興味深いものではなかったのですが。
旅行初日はニースを散策して、夜はフェスティバルを見て、あっという間に終わりました。朝、パリで飛行機に乗れなかったのがずいぶん前のことのように感じながら就寝です。


2月22日。この日はニースからバスで一時間のところにあるセントポール(St-Paul)へ。
コートダジュールにはいくつもある鷹の巣村のうちの一つ。ニースから少し遠いので観光客は少ないかと期待していたのですが、いやいや、なんともはや。観光客だらけです。どうやらここに住んでる人もいるみたいですが、やはり観光客相手のお店が多く、ちょっとゲンナリです。
それでも、初めて見た鷹の巣村は魅力的で、今後の旅が面白くなってきました。

そして、セントポールからヴァンスへより、その後一路エズ(Eze)へ。
ここはセントポールよりもさらに観光地化された村です。
というか、ここまでくるとテーマパークになってしまってる気がしました。
村の中には誰も住んでいる人はおらず、全てホテル・レストラン・みやげ物やとなっていました。
世界遺産に登録されているモンサンミッシェルも話を聞く限り、同じようなイメージを持ちました。あれをイイという人もいれば、良くないという人もいる。
エズもまさにそういう場所でした。
僕は、観光地としての鷹の巣村を見たいわけではなかったので、エズはちょっと好きになれません。
ただ、村の佇まいは非常にきれいで、そこから見える地中海の景色はすばらしく、観光地として有名になるのはうなずける気がします。
そんなエズにこの日は宿泊です。今の時期だと余り泊り客はいないようで、村の麓にある宿に安くとまることができました。
エズは昼間は日本人を含め、多くの観光客がいますが、夕方と早朝は人がまったくおらず、幻想的な街並みを楽しむことができます。
行く方は是非夕方到着~エズ泊~午前中出発くらいを目安にするといいのではないかと。


さて、2月23日この日はエズからモナコを通りフランスとイタリアの国境の町マントンへ向います。

モナコへの入国はあっけないもので、バスでなんとなく入ることができました。これでヨーロッパ何カ国目でしょうか?パスポートチェックがないので記録に残らないのが残念です。
さて、モナコはやはり想像通り場違いな感じでした。大きなバックパックを背負いながら有名カジノやホテルの前をウロウロするのは良くないですね。
カジノの前には同伴印やタキシードコードがかかっており、まったく寄せ付けない雰囲気を漂わせていました。

ただ、モナコでの目的は一つだけ。
それはF1モナコグランプリのサーキットを歩くこと!

ということで歩きました。

残念ながらバスを降りたところがカジノスクエア付近だったため、そこからスタートです。
ミラボーコーナーの前にはホテルミラボーがあり、きっとグランプリ開催中の予約はびっくりするくらい高いんだろうなーなどと思いながら、ローズヘアピンへ。ここはテレビで見るよりも高低さがかなりあって驚きました。もっと平坦なコースを想像してたんですが、さすがモナコサーキット。さらに、おととしシューマッハがクラッシュしたトンネルへ。歩道も整備されていて結構きれいなトンネルでした。そのままぐるっとスタート地点まで歩き、所要時間1時間ちょっと。疲れました…。

とちゅうで、モナコ港の停泊するクルーザーを見ながらホットドックとビールを寂しくいただきます。あのクルーザーのどこかにまだ、ゴクミはアレジと住んでるんでしょうか?
と、そんなことを考えながらモナコは終了です。

モナコから電車でマントンへ。
マントンもニースと同じ時期にフェスティバルをやっているそうで、FETE DU CITRONというレモン祭りを見ることができました。
今年はどうやらブラジルがテーマになっているようで、ブラジルっぽい飾り付けをレモンとオレンジで作り上げていました。

んー…いまいち。

まぁ、そんなお祭りはほっておいて、マントン旧市街へと向います。
マントンはニースよりも少し小さい街なんですが、そこにある旧市街は非常に面白かったです。何よりも凄く密集したところに人が未だに住んでるということ。
せまい、通りのあちこちに生活の雰囲気が漂っています。地中海の乾いた空気だからこそできる距離感なのではないかと。今度は夏に行きたいです。


最初の三日間はこんな感じで終了です。

期待していたセントポールやエズが観光地だったことや、マントンの旧市街が思いがけず良かったことなど、やはり現地に行ってみないと分からないことは多いんだと実感した三日間でした。