2006-10-17

研修スタート

昨日から研修が始まりました。
事務所は約60人の所員さんと10人前後の研修生で成り立っています。
ボスのドミニクペローも二日連続在所でした。どうやらマメにプロジェクトをチェックしているようです。日本では所長さんは夜遅くにならないと帰ってこないところも多いですが、ペローさんは意外とまともに働いています。その姿を見るとこちらもやる気がでます。
そして、やはり労働時間は驚きです。日本の設計事務所は24時間営業のところも珍しくないという状況に対して、ここでは夕方6時半には帰る人がいます。しかも結構います。もちろんプロジェクトによっては締め切りが迫っているようで、そういう人たちは夜までごりごりやってますが。午前中10時くらいから夕方にかけての所員さんたちの集中力はすごいなぁとおもいます。やはり仕事は集中力と切り替えがあれば、人間らしい生活ができるんだとこの二日間で学びました。
まだ二日しかたってないですが、最初に感じた印象は意外といつまでも残るもので、おそらく半年後も似たような感想を持つのかなと思っています。半年後、どんな経験が加わってるのか楽しみです。

ちゃお。

2006-10-13

シンガポールにて

日本を飛び立ちはや12時間。
シンガポール空港に着いています。
パリまでの道は長く、ここからさらに12,3時間かかります。
北周りの直行便なら今頃到着してるはずなのに。
この辺はお金がない若者ならではです。

さて、シンガポール空港でのトランジットも悪くないもので、インターネットも使い放題、お食事どころも揃っていて何も困りません。
ただ一つ、冷房が効きすぎているということだけが気がかりです。
ここの国はどうなってるのでしょう。
きっと冷房設定とか18℃くらいになってるに違いない。

パリは寒いのか、熱いのか。
去年は今ぐらいの時期は結構あったかかったんだけど。

さて、それでは無事パリに着きますように。

2006-07-25

再出発に際して

お久しぶりです。

帰国後携帯が壊れたり、パリとやり取りしたりと忙しくすごしていたためまったく手付かずになってしまいました。

が、パリへ向けて再出発したいと思います。

再びパリへ行ってきます。
また、ぽつぽつと準備の段階から書いていきたいと思います。よろしくどうぞ。

2006-03-27

元気です。

ちっとも更新できてませんでしたが、元気です。

ちょっと言い訳をすると、PCの調子が悪く、写真をいじれない状態になってしまったため、ブログにも手が伸びませんでした。

そして、実はその間に、先日行きそびれていた東欧へ行って来ました。

東欧といっても、今回はチェコ・スロバキア・オーストリアという、中欧辺りを回りました。
あまり時間も取れなかったので各国の首都を回るという、慌しいスケジュールで行って来ました。

まずは、パリから夜行バスでプラハへ。
ここはチェコの首都ですが、『プラハの春』で有名ですね。
毎年春にプラハでは音楽祭が開かれます。
ドボルザークやスメタナといった有名な作曲家を輩出した文化レベルの非常に高い街です。

昨年末から、「プラハの春(上)(下):春江一也 集英社文庫」を読み続けていたので、凄く行きたかった街のひとつです。
旧共産党支配が終わり、自由に旅行できるようになったわけですが、東欧の空気は未だ色濃く残っていました。

が、やはりプラハは音楽の都であることを街のあちこちで感じさせてくれます。ちょっとした広場では常に、ジャズやクラッシックを聴くことができるし、ミニコンサートは比較的手ごろな値段で毎日あちこちで開かれています。
今年はモーツァルト生誕250周年?ということで、モーツァルト関係のコンサートのビラが多かったです。

さらに、プラハは東欧の街としては珍しく戦災を免れてきた街です。これには、チェコ人歴史が大きくかかわっているわけですが、そのきれいな街並みは、夜になるとさらに美しさをましていました。
数多くある塔や、ブルダヴァ(モルダウ)川にかかる多くの橋。それらがライトアップされる夜の街はすばらしく、感動しました。


さて、プラハから電車で4時間半かけ、一路ウィーンへ。
ウィーンもすばらしかったです。
ただ、やはり、西側の国として近代以降発展してきただけあって、チェコの街並みとは異質のものです。
ここには、おおくのすばらしい近・現代建築がありました。
とくに、オットーワーグナーの設計したものはどれもすばらしく、いい建築が作る街を堪能できました。

ちなみに、ニューイヤーコンサートで有名なウィーン楽友協会ホールへ行って来ました。チケットは、立見席で、5ユーロ。ちょっとお得な感じがしましたが、人がいっぱいで、なかなか…やはり聞くなら少しお金を払って、ちゃんと席に座らないとダメですね。
もう少し大人になってから行きましょう。

そのご、チェコと連邦制を解消したスロバキアの首都・ブラチスラバへ。
ウィーンのあとに行ったせいでしょうか、あまりの違いに呆然です。
やはり、ヨーロッパ内での経済格差は確実に存在します。
それでも、街のあちこちで工事が行われており、これから10年後へ向けた街づくりをしているのかなと感じました。

ブラチスラバには一日しかいませんでしたが、最後はドナウ川のほとりを歩いて終了です。


東欧の首都三つを回ることで、すばらしい建築も多く見られたし、さらに、国境をまたぐだけでがらりと変わる経済状況に驚かされた、プラハ⇒ウィーン⇒ブラチスラバの旅でした。


さて、あと2,3日で帰国です。準備をしないと帰れなくなりそう…。

2006-03-10

南仏旅行-Cote d'Azur①

先月2月21日より行っていました旅行から数日前に帰ってきました。
予定が入ったため途中バーゼルから急遽予定を変更して、パリに戻りました。
バーゼルの後に行く予定だった、東欧はまた来週辺りに行きたいと思ってます。


さて、今回行った南仏~スイスにかけての旅行記はなかなか長くなりそうなので何回かに分けて書きたいと思います。

まずは南仏コートダジュール。

2月21日早朝、パリは雪でした。そして、始発電車に飛び乗り、パリ・オルリー空港へと向ったわけですが、前日から心配していたいやな予感が見事的中してしまいました。
というのも、格安航空券を買ったんですが、それが余りにも朝早いため搭乗手続きに間に合わないのではないかと。…。

まぁ、いいんです。終わったことですから。

でも、始発の公共交通機関を使って間に合わないような時間帯には設定して欲しくないですね。
結局、便を振り替えてもらい、別途お金を払いまして、次の便に乗せてもらいました。
いい勉強になりました。

さて、当初の予定よりも5時間遅れでニースに到着。
照りつける太陽、青い空、半袖で行きかう人々。。。とは、行きませんでしたが、パリよりは若干温かい。
そして、なんと言っても海がきれいでした。
昨年の夏に沖縄に行ったときも感動しましたが、ニースの海もきれいでした。バカンスに行きたくなる気持ちも分かります。
重い荷物を背負いながら、ニース旧市街展望台へ。そこからはニースの街が一望できます。なかなかきれいな街です。

そして、今の時期ニースでは毎年恒例のフェスティバルが開催されているようです。
留学の申し込みのときに、ヨーロッパの祭りを見たいと書いていたのが、図らずも実現できました。
まぁ、ただカーニバルは個人的には余り興味深いものではなかったのですが。
旅行初日はニースを散策して、夜はフェスティバルを見て、あっという間に終わりました。朝、パリで飛行機に乗れなかったのがずいぶん前のことのように感じながら就寝です。


2月22日。この日はニースからバスで一時間のところにあるセントポール(St-Paul)へ。
コートダジュールにはいくつもある鷹の巣村のうちの一つ。ニースから少し遠いので観光客は少ないかと期待していたのですが、いやいや、なんともはや。観光客だらけです。どうやらここに住んでる人もいるみたいですが、やはり観光客相手のお店が多く、ちょっとゲンナリです。
それでも、初めて見た鷹の巣村は魅力的で、今後の旅が面白くなってきました。

そして、セントポールからヴァンスへより、その後一路エズ(Eze)へ。
ここはセントポールよりもさらに観光地化された村です。
というか、ここまでくるとテーマパークになってしまってる気がしました。
村の中には誰も住んでいる人はおらず、全てホテル・レストラン・みやげ物やとなっていました。
世界遺産に登録されているモンサンミッシェルも話を聞く限り、同じようなイメージを持ちました。あれをイイという人もいれば、良くないという人もいる。
エズもまさにそういう場所でした。
僕は、観光地としての鷹の巣村を見たいわけではなかったので、エズはちょっと好きになれません。
ただ、村の佇まいは非常にきれいで、そこから見える地中海の景色はすばらしく、観光地として有名になるのはうなずける気がします。
そんなエズにこの日は宿泊です。今の時期だと余り泊り客はいないようで、村の麓にある宿に安くとまることができました。
エズは昼間は日本人を含め、多くの観光客がいますが、夕方と早朝は人がまったくおらず、幻想的な街並みを楽しむことができます。
行く方は是非夕方到着~エズ泊~午前中出発くらいを目安にするといいのではないかと。


さて、2月23日この日はエズからモナコを通りフランスとイタリアの国境の町マントンへ向います。

モナコへの入国はあっけないもので、バスでなんとなく入ることができました。これでヨーロッパ何カ国目でしょうか?パスポートチェックがないので記録に残らないのが残念です。
さて、モナコはやはり想像通り場違いな感じでした。大きなバックパックを背負いながら有名カジノやホテルの前をウロウロするのは良くないですね。
カジノの前には同伴印やタキシードコードがかかっており、まったく寄せ付けない雰囲気を漂わせていました。

ただ、モナコでの目的は一つだけ。
それはF1モナコグランプリのサーキットを歩くこと!

ということで歩きました。

残念ながらバスを降りたところがカジノスクエア付近だったため、そこからスタートです。
ミラボーコーナーの前にはホテルミラボーがあり、きっとグランプリ開催中の予約はびっくりするくらい高いんだろうなーなどと思いながら、ローズヘアピンへ。ここはテレビで見るよりも高低さがかなりあって驚きました。もっと平坦なコースを想像してたんですが、さすがモナコサーキット。さらに、おととしシューマッハがクラッシュしたトンネルへ。歩道も整備されていて結構きれいなトンネルでした。そのままぐるっとスタート地点まで歩き、所要時間1時間ちょっと。疲れました…。

とちゅうで、モナコ港の停泊するクルーザーを見ながらホットドックとビールを寂しくいただきます。あのクルーザーのどこかにまだ、ゴクミはアレジと住んでるんでしょうか?
と、そんなことを考えながらモナコは終了です。

モナコから電車でマントンへ。
マントンもニースと同じ時期にフェスティバルをやっているそうで、FETE DU CITRONというレモン祭りを見ることができました。
今年はどうやらブラジルがテーマになっているようで、ブラジルっぽい飾り付けをレモンとオレンジで作り上げていました。

んー…いまいち。

まぁ、そんなお祭りはほっておいて、マントン旧市街へと向います。
マントンはニースよりも少し小さい街なんですが、そこにある旧市街は非常に面白かったです。何よりも凄く密集したところに人が未だに住んでるということ。
せまい、通りのあちこちに生活の雰囲気が漂っています。地中海の乾いた空気だからこそできる距離感なのではないかと。今度は夏に行きたいです。


最初の三日間はこんな感じで終了です。

期待していたセントポールやエズが観光地だったことや、マントンの旧市街が思いがけず良かったことなど、やはり現地に行ってみないと分からないことは多いんだと実感した三日間でした。

2006-02-21

後期研究旅行計画

パリに引っ越して、まだ一週間ですが早速明日から研究兼建築旅行にでかけます。

しかも今回はいまだかつてない長丁場です。怒涛の3週間!!
南仏へ行きその後スイス、ドイツ、チェコ、オーストリアと回ってきます。
今まで長くても2週間だったので、今回は未知数です。途中で力尽きるかもしれません。

なので、疲れたら帰ってきます。

詳しい日程は、

2月21日Paris⇒Nice
  22日Eze・Monaco
 23日Menton・Ste-Agnes
  24日St-Paul・Vence・Gourdon
 25日Bargeme・Seillans・Tourtour
 26日Marsille
 27日Ansouis・Lourmarin・Menerbes・Gordes
 28日Avignon・Les Baux-de-Provance
3月1日Lyon
   2日Basel
    3日Basel
    4日Basel
   5日Zurich
   6日Munich
   7日Munich
    8日Prague
   9日Prague
  10日Wien
  11日Wien
  12日Wien
  13日Wien⇒Paris
  14日Paris着

やっぱりこうやって書いてみるといかに無謀な旅行かが分かります。そして、今一番気がかりなのは明日の朝一番の飛行機に乗れるのかどうか…。
どうやら、始発の電車で行ってもぎりぎりチェックインの時間には間に合わないんですね。なので、出発間際に飛行機に駆け込むことになると思われます。
乗れなかったら、帰ってきます…。そのときはまた、計画建て直しです。

それでは、行って来ます。しばらく更新できないと思いますが、元気です。


では。

2006-02-15

ブリュッセルに恋して

ついにこの日が来ました。
9月に飛行機に乗って成田、シンガポール、パリを経てたどり着いたブリュッセル。そんなブリュッセルを今度は逆順路で去ろうとしています。

思えばブリュッセルでは多くのことを学びました。
到着そうそう盗難にあったことや、学校での課題・ディスカッション、設計事務所でのプチお仕事、マダムやマドモアゼルとの出会い。挙げていくときりがありません。

ブリュッセルでは日々その日が新鮮な何かを体感でき、四年半暮らした福岡に比べ、ものすごい勢いで周りの環境を吸収しようとしていました。おかげで、疲れましたが、四ヵ月半でかなり愛着を持つことができました。

最終日前夜は同居人のさとちゃんとブリュッセルの中心であるグランプラスに行きました。ここは当初から何度となく来た広場で、学校の教授はこれはただの観光の中心だと言っていますが、やはりグランプラスは非常に美しい広場だと再確認しました。
さまざまな都市に行きましたが、ここの広場よりもいいところをあげろといわれると非常に困ります。それくらい素敵な広場です。大好きです。
ここはヨーロッパの中心です。

で、さらにグランプラスには中心に印があるということで、さとちゃんと日付をまたいで探しましたが、残念ながら見つかりませんでした…。日本人が二人ずーーーーっと中心付近をウロウロする様子はちょっと異常だったでしょう。

そして出発の朝はいつもよりも早く目が覚めたため、行きつけのカフェへ行きました。
開店直後だったため他のお客さんは誰もいませんでしたが、一人コーヒーを飲みました。
次に行くときまで、あの店が残っているのか、かなり怪しいもんです。


いよいよ出発。

タリスでパリへ…あっという間の4ヵ月半でした。

パリでもアクティブにカフェを見つけます。。。

2006-02-03

『ベネルクス』のルクス

ルクセンブルク(Luxembourg)に行って来ました。これでヨーロッパ7カ国目。ベルギー・オランダとともにベネルクス三国と呼ばれる、小さい国です。
その首都はその名の通りルクセンブルク。
ここはローマ帝国時代から、街道が交わる重要拠点であり、断崖を利用した城壁に囲まれている旧市街地を中心に栄えています。
ベルギー・オランダの諸都市と比べると、かなり特異な地形になっていてます。
ここに行くにはブリュッセルから電車で3時間。九州の福岡ー鹿児島のようなもの。


さて、着いたのはお昼12時でしたが、気温が-4℃…。寒いです。最近ブリュッセルも寒いですが、内陸に向った分さらに寒くなってます。雪もちらつきぎみ。
そんな気温の中、さくさく街の中を歩き回りました。
駅自体は新市街にあり、そこから10分くらい歩いたところに旧市街があります。旧市街といっても寂れているわけではなく、商店街があったり、古い建物を利用したマクドナルドがあったり。とても賑やかです。
こういう街の作り方は日本も是非真似するべきです。なんでも駅前ならいいのかというとそうでもないだろうと。もちろん駅前の新市街地も十分賑わっていますが、旧市街の歩行者中心の街づくりは非常に好感が持てます。

そんなこんなで、旧市街や、EU裁判所を見て周り、だんだん日が翳ってきます。日中-4℃の街なので日が沈むと、大変です。寒いとか、そういう表現ではなく、痛い。です。

が、そんな痛いながらも、夜のルクセンブルクはさらに魅せてくれました。
旧市街と新市街の間の城壁や、橋・教会など街中が絶妙なライティングで包まれています。昼間に見た街とは違った顔を見せてもらいました。是非訪れる方は夜の街も見てください。


二日目は午前中-6℃の中、再びルクセンブルクの新市街地を見たあと、ブリュッセルに帰るついでにナミュール(Namur)という街に寄ってきました。
ベルギーはこのナミュールを境に地形が変化するんだとか。
それゆえに地形的な要衝として戦禍が絶えず、何度も再建を繰り返したそうです。
そしてそんな街にあるシタデル(城砦)を見てきました。

人間は作ろうと思うと、凄いものを作るんですね。と、思いました。


そんな二日間の旅行でした。
そろそろパリへ移動です。あと一回ベルギー国内を回れればいいかな。

2006-01-27

課題終わりました。

留学の目的である1校目の課題がようやく先日終わりました。

この課題は10月から始まったデザインスタジオのものなんですが、最初にグループワークをし、そのご個人課題をするというものでした。
ということで、先日その個人課題が終わったわけですが、この課題に対して自分なりに目的を持って取り組んでいました。
まず、一つはヨーロッパでしか出来ないことをしようということ。それは敷地の選定とかそういうところから、出来るだけヨーロッパではノーマルな場所を選ぼうと考えてました。ブリュッセルで特異な場所というのは日本では当たり前のような場所だったりするので、むしろブリュッセルの中では当たり前となっている場所を選んでやってみようと。
結果的に、ノーマルとはいえないけれども、十分にブリュッセルのコンテクストを読める敷地を選定し、課題を進めることが出来ました。

そして、もう一つ考えていたことは、『中庭』を取り扱いたいということ。知識としては知っていましたが、実際に街区を取り囲み中に共有のスペースを持っている集合住宅に住んでみると、非常にあいまいな所有や境界にたいして興味がわいてきました。
住んでいる近くには、面白い中庭がいくつかあり、それはヨーロッパ(ブリュッセル)では当たり前のようなスペースとなっている。ただ、どこの中庭も余り積極的な使われ方をしていません。共有すると占有意識がなくなり、その中庭自体はどうでもよくなるのでしょうか…?
とにかく、そこをいかに新しく作ることが出来るのかと。

デザインスタジオの課題は『都市のシークエンスとパブリックスペース』ということでかなり大きな視点から設計を始めることになったんですが、最終的にはスタジオ内でも最小の部類におさまりました。といっても僕の案が小さいのではなく、他の人たちのが大きすぎるんですけど。
プログラムは集住。そこにSOHOとかSHOPをいれてハウジングコンプレックスを作るというありがちなものです。
選定した敷地はGALLERY(商店街?)が続いているところへ、新たな方向へ人々を向わせるという案を入れ込んだもの。そしてその行き着く先には教会のAXISがある。なかなかベタな設定でしたが、非常にいい敷地だったと思います。

こんな敷地で、なんとか集住を完成させ、発表してきました。
出来としてはまだまだ詰めが足りない分、矛盾している箇所がいくつもあると自分では思っているのですが、教授にはよくやったと、いい評価をいただきました。
これを元に帰国までもう少し時間があるようなので、手直しを加えつつ満足行く案に仕上げて行きたいと思っています。

とりあえず、1st semesterが終わりました。



次は二週間後にパリに移動します。

2006-01-17

SEJOUR TEMPORAIRE

お久しぶりです。


どこかに行っていたわけではありませんが、課題の提出が迫ってきているため更新できませんでした。


さて、今日はイミグラントオフィスに行って来ました。
先日12月末に手紙が来まして、滞在許可証が出るから来なさいと。
そういうことです。

本当は先週できる予定だったのですが、学校の在学証明書が持っていたものではダメだということで、再発行してもらい、本日もう一度行って来ました。

窓口は、外国人を扱う職場にもかかわらず、英語をしゃべらない人が並んでいます。
ここで問題なのは、彼らがしゃべれないのではなく、しゃべらないのです。
ブリュッセルの街では、お店の人はこちらがフランス語をしゃべれないと分かると、英語で話そうとしてくれます。
が、役所は全然です。サービス精神がまったくありません。

留学準備をしていた頃を思い出します。
日本で留学のために各種書類を集めていたときも、お役所にはうんざりしました。なんでまったく気を遣うということをしないのでしょう?わざわざ福岡から東京まで出向いているのに、にこりともせずに「今日は終わったから明日来てください。」と。
せめて「ごめんね」の一言くらいないのでしょうか…。まったく。

と、日本での対応を思い出しながら、ベルギーでも役所の人は一緒なんだなと思いました。
きっと、毎日の仕事がルーティーンワークになっていて、捌けば終わりという気持ちしかないんでしょうね。
ああいうところで働く人にこそ一度留学して、めんどくさい手続きをしてもらいたいものです…。


と、愚痴をいいつつ滞在許可証がもらえたので良しとします。

ただ、よくよく見てみると…『SEJOUR TEMPORAIRE』=仮滞在許可証。。。
しかも『31 Octo 06』。

そんなにいません。

つまり、今まで手元にあったのは(仮)仮滞在許可証だったんですね。
で、今日もらったのが仮滞在許可証だと。しかも十月末まで滞在していいと。
ベルギーの適当さ加減にはびっくりします。



まぁこれで心置きなくヨーロッパに滞在できます。よかったよかった。

2006-01-07

2005-2006Happy New Year Visit

フランス・ベルギー・オランダ・ドイツ

年末年始に行ってきた国々です。


まず、クリスマスを過ごしにパリへ。
ヨーロッパのクリスマスは厳かに、粛々と過ぎていくと聞いていたのですが、やはりパリくらいの大都市だと違いました。
エッフェル塔はちかちか光ってるし、シャンゼリゼは人で溢れているし。

クリスマスが商業化されているのは日本だけじゃないですね…。

その後、ブリュッセルへ帰り、クリスマスの余韻を味わいます。
そして年末旅行へと続きます。

26日ロッテルダム
オランダといえば現代建築がたくさんありますが、ここロッテルダムも然り。ここではOMAのクンストハルやカフェデユニを見ました。
そして、驚いたことに26日のロッテルダムはほとんど店が開いてませんでした。クリスマス翌日休暇といったところでしょうか。

27日ユトレヒト
さて、建築テーマパーク・ユトレヒト大学。ここには昨年来たときにも立ち寄ったのですが、今回はユトレヒトの街並みも堪能しました。
小さいながらも非常にいい街で、中心部は古い町並みを残しつつ、リノベーションによってさまざまなショップがそこに入っていました。
ここに住むのも悪くないなと、ふと思いました。

28日アムステルダム
オランダの首都アムステルダムはやはり現代建築がたくさんあります。
一回や二回訪れただけでは見切れません。
それにしてもアムステルダムは物価が高かったです。むむむ。

29日デュッセルドルフ
この日はオランダからドイツ西部へ大移動です。
ICEというちょっと贅沢な電車に乗って見ました。なにやら全て電子化されていてドイツの意地?を垣間見させていただきました。
デュッセルドルフにお昼過ぎに到着したので、高校生のときから見てみたかったネアンデルタール美術館へ。
雪が降っていて、その中に非常にきれいな佇まいでガラス建築がありました。
そんな印象です。ここはその名の通りネアンデルタール人発祥?の地らしく、それにまつわる美術館(博物館)でした。

30日デュッセルドルフ
この日、実は今回の旅行で一番楽しみにしていたノイスの美術館へ行くことに。
この美術館は広大な敷地の中に、ギャラリーが点在しているという珍しい美術館です。
デンマークにはルイジアナ美術館という似た形式の美術館があります。コペンハーゲンへ行った際にルイジアナ美術館が非常に面白かったため、留学前からこのドイツの美術館も楽しみにしていました。
実際に行ってみると、さすがに広く、あたり一面雪景色でした。
言葉ではうまく言い表せない、じわりと響いてくるよさがありました。
是非今度は夏に行ってみたいです。

31日ブリュッセル
年末はブリュッセルへ帰ってきました。多少旅慣れてきたところで、電車のチケットを賢く買い、ブリュッセルへ。
年越しはMyルームで、マッタリしているうちに花火が上がり始めました。
どうやらヨーロッパは新年は大騒ぎみたいです。各地の様子をテレビで見ましたが、どこも、センスのない花火が上がっていました…。

そんな感じで年越しです。


1月2・3日ブルージュ・ゲント・アントワープ
お正月気分でゆっくりしようとも思ったんですが、せっかくの休みなんでベルギー国内を安く旅行することにしまいました。
学校の授業でもいろいろな土地を回りましたが、それだけではカバー出来ていない都市があるのでそこへ向います。
ブルージュはやはり何度訪れてもいいところです。
ゲントは住むのに丁度よさそうな都市です。
アントワープはフランダースで日本では有名ですが、オランダよりの街なので、人が大きいです。
ベルギーの地方都市はやはりなかなかいいです!
どこもその都市の顔を持っています。そして非常にきれいです。
もっと行っていない街へ出かけてみたくなりました。


こんな感じで冬休みを過ごしましたが、そろそろ課題をやります。というか、やってます…。

なにやら課題提出が意外と近くて焦っています。

またしばらくは忙しい日々を送ります…。

2006-01-05

賀正

新年明けましておめでとうございます。

さて、新年みなさまいかがお過ごしでしょうか。

僕はクリスマスから年末年始にかけて旅行をしていました。

フランス・オランダ・ドイツ・ベルギーの各都市を周り、イベント盛りだくさんの年末年始でした。その報告はまた後にするとして。


今年の抱負を考えなければなりません。

昨年は年明け早々に建築学科の学生にとっては最重要課題である卒業設計に取り掛かり、2月まで没頭していました。
なかなか大変で、卒業設計が終わった頃には人間不信・疑心暗鬼に陥りそうになったりもしました。

それでも、いろんな方からの協力を得て、卒業旅行にヨーロッパへ行きました。

あの時、あのタイミングでいろいろな建築・街を見れたことは凄くよかったと思います。その情熱を維持しつつ今に至っている気がします。

と、言うことで、今年の抱負は、

【フランスを学ぶ】

にしたいと思います。
ブリュッセルに来て、フランス語の面白さに出会い、語学をもう一度やるなら今しかないと思い、かつ、フランスに今後生活の拠点を構えたいという希望をもちつつ頑張ります。

では、皆様今年もどうぞよろしくお願いします。